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別 名 | : | 勝山城・指月城・湧金城・鯉ノ城 |
所在地 | : | 福岡県北九州市小倉北区 |
築城年月 | : | 文永(1264年〜1275年) 慶長7年(1602年) |
築城者 | : | 緒方維重、細川忠興 |
主要城主 | : | 細川氏・小笠原氏 |
城郭様式 | : | 平城 |
遺 構 | : | 天守閣・門・水堀 |
小倉城は文永の頃緒方維重が築城した城です
室町時代以後大内氏、大友氏らの攻防の舞台となり永禄13年(1570年)には高橋鑑種が居城し、天正14年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐では高橋元種が小倉城を開き秀吉に降り、この小倉城には毛利勝信が入封した 関が原の戦いでは西軍についたため毛利勝信は除封され細川忠興が代わって入った 細川忠興は始め中津城に入ったが慶長7年(1602年)小倉城を大改修した 寛永9年(1632年)播磨明石から小笠原忠真が入り明治に至った
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北の丸と水堀です | 西の口門です |
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松の丸と白州灯台顕彰櫓です | 鉄門です。藩主、家老以外の武士の登城口として使われた |
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旧第12師団司令部正門です | 旧第12師団司令部です |
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天守閣です | 虎口です |
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多聞口門です | 着見櫓です |
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大手門です | 槻門です |
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大手先門です | 虎の門です |
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中津口門の大石です。細川忠興が小倉城を築く時大谷から運んできたが大石は上富野で動かなくなり忠興は頭の富岡某を手討にしたので石は勢いよく運ばれた。これを聞いた小笠原四代藩主忠総は「二つに割って運べば命までは奪わずにすんだ。石の大小は勝負にかかわらぬ」と言ったという。これを「細川の大石」「小笠原の割石」と言った | 宮本武蔵碑です |