html> 久留米城(くるめ)

久   留   米   城   


【蜜柑丸跡】
別  名久留目城、来目城、篠山城、篠原城
所在地福岡県久留米市篠山町
築城年月天正年間(1573年〜1591年)
築城者毛利秀包
主要城主毛利氏・有馬氏
城郭様式平山城
遺  構水堀・石垣
永正年間(1504年〜1521年)に土豪が城を築いて篠原城と称したのがはじまりといわれている

天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐後、毛利元就の末子で隆景の養子である毛利秀包が入城し、本格的な城郭へとなった

慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で西軍に属した毛利秀包は改易となり、翌慶長6年松倉重政の嫡子主膳正信が入城した

元和6年(1620年)田中忠政が病死し無嗣除封になると有馬豊氏が入城し、以後明治維新まで有馬氏の居城となった

考察・感想
城内に篠山神社・有馬記念館があります
高い石垣・水堀と見所一杯です
駐車場
無料駐車場有
目標物  久留米城地図
有馬記念館 
冠木御門跡です 水堀です

城址碑です 井戸です

本丸御殿跡です 道君首名の碑です

土塁です 大井戸です

搦め手です 巽櫓跡です。本丸東南隅に三層建ての櫓があった

蜜柑丸跡です 石垣です

小早川神社です。この神社の祭神は毛利元就の末っ子旧久留米城主毛利秀包で、一時兄小早川隆景の養子となったので小早川神社となった 篠根神社です。寛永14年(1637年)島原の乱の於ける有馬藩の戦死者家老稲次壱岐以下114柱の御霊を祀っている

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