西  新  元  寇  防  塁  


【西新元寇防塁】
別  名石築地
所在地福岡県福岡市早良区西新7丁目
築城年月建治2年(1276年)
築城者北条時宗
主要城主
城郭様式防塁
遺  構石塁
西新元寇防塁は博多湾の海岸沿い約20kmにわたり築かれた石築地のひとつです

文永3年(1266年)元の世祖(フビライ)は日本に使者を送り通交を求めたが鎌倉幕府はこれに応じなかったため文永11年(1274年)漢軍1万5千、高麗軍8千の大軍が博多湾に攻め込み、その西部に上陸し九州の御家人たちと激しい戦いをくりひろげた(文永の役)

幕府は元の再度の来襲に備えて九州各地の御家人に命じ建治2年(1276年)3月から半年間で西は今津から東は香椎まで博多湾沿い約20kmにわたる石築地(元寇防塁)を築かせその場所を警備させた

弘安4年(1281年)6月、元は再び東路軍4万、江南軍10万で来襲したが、この元寇防塁や武士の元船への攻撃により博多の地には上陸できなかった(弘安の役)

考察・感想
元寇防塁は昭和6年(1931年)国の史跡に指定されました
ここ以外にも10ヶ所ほどあります。有名なのは今津ですね
防塁は各国の分担地区によって構造が違い、この箱崎地区は薩摩国が分担して千代付近から地蔵松原付近までの約3kmにわたり築かれた
駐車場
目標物  西新元寇防塁地図
元寇神社
アクセス
福岡市営地下鉄空港線「西新駅」下車西に向かい交差点「防塁」を右折して進むと右側にあります(徒歩10分)
地蔵松原にある元寇防塁です 防塁位置図です

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