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別 名 | : | 花岡城 |
所在地 | : | 熊本県葦北郡芦北町 |
築城年月 | : | 南北朝期 |
築城者 | : | 佐敷氏 |
主要城主 | : | 佐敷氏 |
城郭様式 | : | 山城 |
遺 構 | : | 石垣・碑 |
佐敷城は標高87.5mの山に築かれた城です
佐敷は薩摩街道と相良往還が分岐し、良港を持った交通の要所であり、南北朝の頃から江戸時代の初めまで八代の名和氏、人吉の相良氏、薩摩の島津氏、豊臣配下の加藤清正などが激しい攻防を繰り広げた 16世紀後半頃、加藤清正の重臣である加藤与左衛門重次が城代を努めた 朝鮮出兵の時、清正に従って重次も朝鮮に渡るがその留守中の文禄元年(1592年)6月梅北の乱が起き、佐敷城は島津家臣の梅北国兼に占拠されるが留守を守っていた与左衛門の家臣の計略で梅北は殺され事件は終息した 元和元年(1615年)の一国一城令で破却され、さらに天草・島原の乱後に2度目の破壊を受けた
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二の丸東門です | 二の丸です |
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本丸西門です | 本丸東門です |
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最も古い自然石を使用した石垣です | 鏡積みの石垣です。薄い板石を用いて積まれた石垣です |
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貯蔵穴です | 本丸石垣です |
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東出丸です | 番代屋敷跡です |
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佐敷城代加藤重次の母親の逆修塔と奥方の墓石です | 鳥瞰図です |