福    江    城    


【横町口蹴出門】
別  名石田城
所在地長崎県五島市池田町
築城年月文久3年(1863年)
築城者五島盛徳
主要城主五島氏
城郭様式平城
遺  構石垣・門・堀
福江城は東西160間、周囲740間、本丸、二の丸、三の丸からなり築城当時は三方を海で囲まれた海城であった

各郭の要所には石火矢台場が設けられていた

五島氏はそれまでの居城であった江戸城を焼失して以来石田陣屋で過ごしていたが、幕末になり五島近海に外国船が出没し始めると五島藩は幕府に築城願いを出したが半世紀の間築城許可が得られなかった

しかし、幕府は1849年「海岸防衛を厳重にせよ」と築城許可を下し、五島藩は14年と2万両を使って福江城は完成した

考察・感想
地元では石田の浜にあったので石田城と呼ばれています
幕末最後に建てられ、日本を国難から守るために造られた城でこの目的を持つ城は北海道の松前城と二つしかない
想像以上に遺構がよく残っていました
駐車場
目標物  福江城
五島高校
横町口蹴出門枡形です 二の丸石垣です

中仕切門です 本丸石垣です

本丸石垣と内濠です 石橋です

大手門です 観光歴史資料館です

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