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別 名 | : | 北山グスク |
所在地 | : | 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊 |
築城年月 | : | 12〜13世紀 |
築城者 | : | 不明 |
主要城主 | : | 不明 |
城郭様式 | : | 山城 |
遺 構 | : | 曲輪・石垣 |
今帰仁城は14世紀、沖縄本島が北部地域の北山、中部地域の中山、南部地域に南山とそれぞれ支配し三山県立の時代で北山に築かれていた城です
北山王は中国と貿易していたが、1416年に中山の尚巴志によって攻め滅ばされた 北山の敗北後、中山は北部地域の管理として監守を設置し、監守の居城としてグスクを利用した
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ハンタ道です。城はの登城道で石畳道が今でも残っているようです。ハンタは方言で崖という意味です | 城址碑です |
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平郎門です | 旧道です。平郎門と大庭を結んだ本来のの城内に通じる道です |
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大隅の城壁です。大隅は城兵の武闘訓練の場で伝承では馬等を飼育していたとされている | 大隅内部の石垣です |
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大隅の洞窟です。抜け穴として利用されかつては志慶真川沿い崖に中腹に抜け出ると言われている | 大庭にあるカラウカです。大庭(ウーミャー)は主要な建物の前面に広い庭で祭祀が行われた重要な広場です |
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御内原(ウーチバル)です。今帰仁城に仕えた女官の生活の場であったと言われています | 主郭です |
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主郭にある火神の祠です | 主郭内側の石垣です |
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主郭から志慶真門郭への虎口です | 志慶真門郭です。城内で最も東にある郭で、家臣が生活した場所と考えられており掘建柱建物跡や階段・石畳道などがあった |
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志慶真門郭と主郭の石垣です |