臼    杵    城    


【大門櫓と畳櫓】
別  名丹生島城・亀城・亀ヶ城
所在地大分県臼杵市臼杵
築城年月永禄5年(1562年)
築城者大友宗麟
主要城主大友氏・稲葉氏
城郭様式平山城
遺  構現存櫓・石垣・井戸
臼杵城は永禄4年(1561年)大友宗麟は毛利氏と門司での戦いに敗れ、北部豊前での戦いでも大敗したため、毛利氏の追撃に備えるため急遽築かれた城です

この城が築かれた丹生島は臼杵湾に浮かぶ島でしたが、守りが堅い地の利を生かしてこの地を城郭とした

文禄2年(1593年)朝鮮の役の失敗により改易となり、福原直高が5年、大田一吉が3年在城した

慶長5年(1600年)11月、稲葉貞通が入城し、以後廃藩置県が行われるまで稲葉氏の居城となった

考察・感想
この臼杵は城だけでなく、周辺には武家屋敷等が一杯あります
是非、これらもセットで見られる事をお勧めします
駅構内に無料のレンターサイクルがありますので、これを利用されるのがいいでしょう
駐車場
専用無料駐車場有
目標物  臼杵城地図
臼杵公園
城址碑と大門櫓です 古橋門跡と古橋門櫓台・堀です

亭櫓台です 鐙坂と二の丸石垣です

畳櫓です。桁行4間(7.92m)、梁行3間(4.44m)の2階建て入母屋造りの屋根を持つ櫓です 大門櫓と中門櫓台です

大門櫓です 井楼櫓台です

会所櫓台です 二の丸石垣です

大友宗麟像です 儀太夫前櫓台です

本丸と二の丸間の空堀です 武具櫓台です

卯寅口門脇櫓です。外観は二層、内部は三層、外壁は漆喰下見板張り、屋根は切妻屋根の櫓です 本丸です。江戸時代は空堀から東側一帯を本丸呼んでいた。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後稲葉氏が城主となったが本丸防衛のため空堀を整備し二之丸から本丸の入口に渡る土橋を設け、土橋を渡ると鉄門という櫓門を設け出入口を固めた

鉄門櫓門です 亀首櫓台です

天守櫓台です。三層四重の天守櫓があった 櫓台です

城址碑です 辻井戸です

切通しです 甚平坂です

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