田峯城は標高387mの独立丘陵に築かれた城で各曲輪を段階的に配している
菅沼氏は山家三方衆の一人田峯宗家菅沼氏で菅沼定成の代に田峯に移り、嫡男定忠の代に富永荘の地頭富永氏が滅亡すると定忠の3男織部正定則がこれを継ぎ野田菅沼氏の祖となった
山家三方衆は田峯菅沼氏・長篠菅沼氏・作手奥平氏をいい、互いに姻戚関係にあり一致団結して外敵に対抗していたが戦国大名の勢力の狭間で自衛と勢力拡大のため時によって団結が崩れ血で血を洗う悲惨な争いをすることとなる
- 考察・感想
- ここは面白い所ですよ。段々となった曲輪が一目で分かります
- 本丸には復元された御殿(少し立派すぎる気がしますが)や物見台などがあります
- 受け付けの方からいろいろな話も聞け良かった!
- こぼれ話(田峯城内乱)
- 5代城主菅沼定忠は家老城所道寿とともに武田方に従い長篠の戦いに出陣したが、武田方が大敗しその報を受けた留守居の将・叔父定直と家老今泉道善らの謀反にあい武田勝頼とともに引き上げてきた定忠は田峯城に入城できず武節城から信州に敗走した
- 復讐を誓った定忠は天正4年(1576年)7月14日田峯城に夜襲をかけ謀反の一族96人を惨殺し主犯格の今泉道善を鋸引きの刑に処した
- 駐車場
- 無料駐車場有
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