藤井城は南の東条氏・吉良氏に備えての藤井松平氏の館跡である
安祥城に拠点を備えた安城松平氏はその勢力を拡大して安定をはかるため一族を福釜・桜井・藤井などに配置した
安城松平二代長親の五男松平利長が藤井松平初代となり、天文9年(1540年)には織田方の軍勢が安祥城に迫った時には兵を率いて援軍に駆け付け大激戦のうえ織田軍を撃退した
二代目信一は天文8年(1539年)に生まれ天文18年織田方に奪われた安祥城奪回の戦いで活躍し永録6年(1563年)の三河一向一揆の戦いでは藤井城を守り一揆を撃退。また永録11年織田信長の近江出陣では家康は信一を主将として信長のもとに送り大いに戦功をあげた。慶長6年(1601年)常陸国土浦城城主35000石を領した
三代は信一の子久清が継いだが文禄元年(1592年)に死去したので松平忠吉の長男信吉が養子となり慶長9年に養父の跡を継いだ
藤井城は慶長6年(1601年)二代目信一が常陸国に移ったとき廃城となった
藤井戸は碧海台地の南の端木戸と藤井の間にできた開析谷の奥に自然に湧き出た清水の井戸です。澄んできれいな清水であったことから藤の花のようだというので藤井と呼ばれるようになった。そのため古井・桜井・浅井と並んで名水となり三河国の四井の一つに数えられるようになった
- 考察・感想
- 遺構がないのが残念である
- ここは駅から遠いですね。歩きでは結構疲れます
- 駐車場
- 無(ただし近くに安正寺無料駐車場がある)
- 目標物
- 安正寺
- アクセス
- 名鉄西尾線「碧海桜井沢駅」を降り真っ直ぐ進み「桜井駅東」の交差点を右折しそのまま真っ直ぐに進み本証寺も過ぎ「藤井町南」の交差点を左折し最初の角を左折し次に右折すると右側にある
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