野    田    城    


【城址碑】
別  名
所在地愛知県新城市豊島
築城年月永正5年(1508年)
築城者菅沼定則
主要城主菅沼氏
城郭様式平山城
遺  構
野田城は南北に長く北から三の丸・二の丸・本丸と続く連鎖式の城です

元亀4年(1573年)正月武田信玄は東三河攻略を開始し大軍でこの野田城を包囲した

菅沼定盈が守るこの城は意気盛んで20日余も攻撃に耐えていたが、武田軍は飲料水を断つ作戦を立て甲州の金堀に命じ井戸の水を流してしまったため城兵の命と引き換えに開城した

考察・感想
ここは何か独特の雰囲気があります。信玄の無念さがあるのか?
立派な三日月堀が残っています
こぼれ話
元亀4年(1573年)野田城を武田軍が攻めた折信玄は毎晩城内から流れてくる見事な笛の音をこの場所に出て聞きほれていた
そこを城兵の鳥居三左衛門が火縄銃で撃って信玄に深手を負わせこれがもとで信玄が死去したといわれている
駐車場
駐車場無(路肩駐車可)
二の丸です 三の丸です

三日月堀です 信玄が撃たれた場所です

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