桜井城は碧海台地が湿地帯へ舌状に突出した天然の要害に築城された城です
はじめは豪族小浦喜平治が屋敷を構えていたが文明3年(1471年)松平信光が岩津から安祥に進出し松平氏の支配下に入った
1520年代松平親房(安祥松平初代松平親忠の三男)の居城となりついで信定(二代松平長親の三男)が城を整えた。信定の妻は織田信秀の妹であった
三代家次は永録元年(1558年)品野城において織田軍の包囲を受けたが防戦し撃退した。永禄6年の三河一向一揆では一揆方に味方し家康の怒りをかった
三代にわたり宗家に反抗した桜井松平氏も四代忠正からは忠実な家臣となった
五代忠吉、六代家広と継いだが天正18年(1590年)家康が関東移封の従い武蔵国松山城に移りこの桜井城は廃城となった
- 考察・感想
- あまり遺構がなかったのが残念です
- 周辺にはいろいろな史蹟があるので、案内看板を見ていかれるといいですよ
- 駐車場
- 無料駐車場4台
- 目標物
- 桜井靖霊神社
- アクセス
- 名鉄西尾線「碧海桜井沢駅」を降り真っ直ぐ進み「桜井駅東」の交差点を左折しそのまま真っ直ぐに進むと左側にあります
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