太政大臣であった藤原師長は平清盛の勘気を被り冶承3年(1179年)11月井戸田村に流された 琵琶の名手で朝、夕と琵琶を弾いては京をしのんだという 後に出家して妙音院と号したが、これが今の妙音通の地名の起こりである 考察・感想 現在の嶋川稲荷が屋敷跡で遺構は何も残っていません 境内に碑が建っています 駐車場 無 目標物 嶋川稲荷 アクセス 名古屋市営地下鉄名城線「妙音通」で降り2番出口に行きます 妙音通を東に進み最初の路地を右折すると右側にあります
琵琶の名手で朝、夕と琵琶を弾いては京をしのんだという
後に出家して妙音院と号したが、これが今の妙音通の地名の起こりである