楽田城は規模東西75m×南北97mの城でした
信長の家臣坂井右近将監政尚が守っていたが、元亀元年(1570年)長男三左衛門が姉川の戦いで討死、政尚も江州堅田で討ち死し、次男坂井越中守が家督をとった
坂井越中守も本能寺の変の時、二条城で討死し空城となった
天正12年(1584年)信長亡き後をめぐって豊臣秀吉と徳川家康との衝突が始まった
3月、家康は小牧山に陣をとり秀吉方の池田恒興は犬山城に入った
膠着状態が続き、4月15日池田恒興は本営を犬山城から楽田城に移した
- こぼれ話
- 天守閣の初めはこの楽田城である
- 遺老物語に「永禄元年(1558年)楽田城に高さ2間余の壇を築きその上に5間と7間の矢倉をつくり中央に8畳敷きの2階座敷を設けたのが天守閣の初めである」とある
- 考察・感想
- 楽田小学校増築時に遺構が壊されたと思われるが、残念である
- いつもはあっちこっち探し回るのだが、今回はすぐに発見できた(珍しいこともあるもんだ)
- 学校の北側にある神社に楽田城の出城址があった
- 駐車場
- 専用駐車場無(小学校の駐車場を借用)
- 目標物
- 楽田小学校
- アクセス
- 国道21号を美濃加茂から岐阜方面に進みます
- 鵜沼に入り「鵜沼東」の交差点を左折し、県道各務原犬山線に入ります
- そのまま進み犬山市に入り「若宮」の交差点を左折し、名鉄小牧線の踏切を渡って直ぐに右折します
- 右に楽田駅を見ながらそのまま進むと突き当たりに小学校があり、そこが城址です
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