楽    田    城    


【城址碑】
別  名
所在地愛知県犬山市楽田
築城年月永正元年(1504年)
築城者織田久長
主要城主織田氏・津田氏・堀氏
城郭様式平城
遺  構土塁、碑
楽田城は規模東西75m×南北97mの城でした

信長の家臣坂井右近将監政尚が守っていたが、元亀元年(1570年)長男三左衛門が姉川の戦いで討死、政尚も江州堅田で討ち死し、次男坂井越中守が家督をとった

坂井越中守も本能寺の変の時、二条城で討死し空城となった

天正12年(1584年)信長亡き後をめぐって豊臣秀吉と徳川家康との衝突が始まった

3月、家康は小牧山に陣をとり秀吉方の池田恒興は犬山城に入った

膠着状態が続き、4月15日池田恒興は本営を犬山城から楽田城に移した

こぼれ話
天守閣の初めはこの楽田城である
遺老物語に「永禄元年(1558年)楽田城に高さ2間余の壇を築きその上に5間と7間の矢倉をつくり中央に8畳敷きの2階座敷を設けたのが天守閣の初めである」とある
考察・感想
楽田小学校増築時に遺構が壊されたと思われるが、残念である
いつもはあっちこっち探し回るのだが、今回はすぐに発見できた(珍しいこともあるもんだ)
学校の北側にある神社に楽田城の出城址があった
駐車場
専用駐車場無(小学校の駐車場を借用)
目標物
楽田小学校
アクセス
国道21号を美濃加茂から岐阜方面に進みます
鵜沼に入り「鵜沼東」の交差点を左折し、県道各務原犬山線に入ります
そのまま進み犬山市に入り「若宮」の交差点を左折し、名鉄小牧線の踏切を渡って直ぐに右折します
右に楽田駅を見ながらそのまま進むと突き当たりに小学校があり、そこが城址です
城址碑です 楽田小城址です

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