清須城は室町時代の管領尾張守護斯波義重が守護所下津城の別郭として築かれた城です
ここは鎌倉街道と伊勢街道の合流地点で中山道にも連絡する東西交通の要所であった
斯波氏時代の城は一重堀であったが信長が城主となり城は整備・拡張された
天正10年(1582年)織田信雄が城主となり羽柴秀吉と対抗するため天守閣・小天守・書院を築き堀も3重となった。このときの城下の範囲は東西1.6Km南北2.8Kmにおよんだという
慶長15年徳川家康は清須廃城名古屋築城をすると清須の住民や建物など大部分が名古屋に移され「東海の巨鎮」・「天下の名城」と賞賛された清須城がその姿を消した。これが有名な清須越しで当時の白引歌はそのありさまは「思いがけない名古屋ができて花の清須は野となろう」と唄っていますがまさにその通りとなった
清須城の小天守は名古屋城深井丸西北櫓に使われ、「清須櫓」とも呼ばれている
- 考察・感想
- 城址がJR東海道線で分断されてしまっている。JRさん何をやっているんだ
- ここに像や碑が各所に点在しています。よく調べて見落としのないように
- 駐車場
- 清洲公園無料駐車場(約100台)
- 目標物
- 清洲公園
- アクセス
- 国道22号を一宮から名古屋方面に進みます
- 春日町に入り「下之郷」の交差点を右折し橋の手前「春日橋」の交差点を左折しそのまま進み東名阪自動車道のガードをくぐったら直ぐ右折しすぐ左折すると駐車場に着きます
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