黒田城の始まりは明応年間(1490年代)に相模の国から尾張に入ったは五藤源太左衛門光正が館を築いたのが始まりといわれている
戦国時代となると織田信安の家臣山内盛豊がこの館を改築し黒田城を築城したといわれている
弘冶3年(1557年)7月山内盛豊が黒田城で夜討にあい長男十郎と共に討たれ、犬山城主織田信清の弟が城主となる
この後信清の家老和田氏・沢井氏が城主となり、天正18年(1590年)小田原征伐のとき一柳監物が城主となった
関が原の戦いでは家康側につき一柳氏は伊勢神戸5万石に転封され、家康の4男松平忠吉の家臣富永氏が黒田城に入り慶長14年(1609年)まで居城していた
- 考察・感想
- 黒田小学校が城址である。遺構は何もありません
- ここにある山内一豊の像はぜひ見てください。写真でも分かる通り像と台座のアンバランスがいい
- 小学校には資料館があり、時間限定で見ることができます
- 駐車場
- 無
- 目標物
- 黒田小学校
- アクセス
- JR東海道本線「木曽川駅」を降り左折し線路沿いを歩きます
- そのまま歩くと右側にあります
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