大   御   堂   寺   


【本 堂】
別  名
所在地愛知県知多郡美浜町野間
築城年月
築城者
主要城主
城郭様式
遺  構
大御堂寺は城ではないが源義朝関連なので紹介します

1159年平治の乱で平清盛に敗れた源義朝は美濃からの追手を避け野間の長田忠至を頼ろうとして内海から上陸した

長田は源義朝の家臣鎌倉正家の伯父であった

源義朝は大いに歓迎されたものの謀られ永暦元年(1160年)1月3日浴室で殺害された

こぼれ話
内海に着いた義朝が野間に入ったのは12月28日、農家では正月用の餅つきにオコワをふかしていました
農家に立ち寄った義朝は餅ができるのを待ちきれずオコワを手づかみで食べたという
この付近の農家では正月1日まで今も餅を食べないという
考察・感想
城址ではないがここで源義朝が殺害されたとは 感慨深い
立派なお寺が建立されていた
駐車場
無(50台)
目標物
野間大坊
アクセス
名鉄知多新線「野間駅」を降り線路沿を左側に進み川に突き当たったら右折します
2本目の橋を左折しそのまま進むと右側に大御堂寺があります
源義朝の墓です。義朝が殺された時「ただ1本の木刀があったらこんなことにはならないのに」という言葉を残したことから木刀が多く奉納されている 織田三七信孝の墓です

池ノ禅尼之塚です 鎌田政家の墓です

源頼朝が建立した大門です 血池です。源義朝公のお首級を洗われた旧跡地です

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