美濃卯建の町並み


【平田家の卯建】

美濃卯建の町並みは、国の伝統的建造物群保存地区に指定されており江戸時代から明治時代に造られた卯建が残されている。卯建とは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られて防火壁のことで、裕福な家しか造ることができなかったため、「うだつが上がらない」という言葉も生まれた
住所 岐阜県美濃市殿町1439−1
小坂家。屋根全面に「起り(むくり)」をもつ安永元年(1772年)に建てられた造り酒屋 今井家。最も古い形式の卯建で鬼瓦が小さく破風瓦が小さく破風瓦の下に懸魚がないのが特徴

武藤家。武藤家は金森長近が関の刀匠を招いて移住させたと言われており、卯建造りの家の右と後方に大きな倉庫が並べている 松永達三家。右の卯建はなく左のみの変則的な家

松永永助紙店事務所。この家は江富屋という昔からの旅館で、現在は事務所と倉庫として使用されている。両卯建は、鳥衾・鬼瓦・破風・懸魚から成る 松永家。卯建飾りは鬼瓦と破風瓦だけで簡素であるが、破風瓦の幅が狭くカーブが美しい

古川家。大火焼失後平田家から遅れ明治に建てられた。江戸時代は卯建に隣接して卯建を建てた例は少なく、この家は明治の新しい自由の気風に乗って隣家との間に空地を取り卯建を新築した 平田家。二階を座敷とした数少ない卯建の家で破風瓦・鬼瓦は装飾に富み懸魚もつけられた豪華な卯建

鈴木忍家。笹屋という江戸時代からの旧家で、18世紀の建築であるが、明治になって2階を大改造し現在の姿となっている 大石家。明治5年(1872年)の建築で、大きい鬼瓦、太くて装飾一杯の破風瓦、大きな懸魚が付く明治の特色を表している

西尾家。トタン葺きであるが、江戸時代からの板葺きであることを示している 時代軒。江戸末期の建築で、破風、懸魚の飾りも江戸時代として最も発達した形式

岡専旅館。江戸時代から続き旅館で岡専を屋号としている。卯建が豪華で、鬼瓦の左側を福槌、右側を宝珠として太い破風と懸魚で飾られている 須田家。代々万右衛門を襲名する素封家(大金持ち)で、上有知一番の大地主であり広大な屋敷を持っていた

田中家。江戸時代か紙商人で低い二階建てに古さが残っており、一戸建てのためか卯建は上がっていない 馬つなぎ石。昔、馬車の馬をつなぎとめておいた石

宝勝院庫裡。明治9年に建てられた旧小学校の本館を移築したもので当時としては極めて進歩的な洋風建築 有知学校跡

長近の松 今井家住宅のなまこ壁

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