元応元年(1319年)に大灯国師が開き京都5山の上位に列せられていたが、応仁の乱により荒廃した 文明6年(1474年)一休和尚が再興し、名僧に帰衣した武将や富豪が塔頭を建立した 天正11年(1583年)には織田信長の葬儀のため、豊臣秀吉が総見院と建てた 千利休の切腹の原因となった自像はここの三門である 三玄院は天正17年(1589年)浅野幸長・石田三成・森忠政が春置宗園を開祖として創建し、春屋・三成・忠政・剣仲・織部の墓がある 住所 京都府京都市北区紫野大徳寺町53 |
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総見院 信長廟所 | 三玄院 石田三成墓所 |
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平康頼の塔 |