長  崎  市  内  観  光


【大浦天主堂】

初めて南蛮船が長崎に入港したのが元亀2年(1571年)で、キリシタン大名の大村純忠が貿易港を開いた
江戸時代の鎖国時にもこの地だけは海外に門戸を開いていた
住所 長崎県長崎市
旧長崎英国領事館 大浦東山手居留地跡

湊会所跡 オランダ坂

運上所跡。税関の事務や外国船からの税金徴収や荷改めを行うために設置された 山王神社片足鳥居。原爆により左半分が吹き飛ばされた

浦上天主堂。キリシタン弾圧に耐え改宗しなかった人達が大正14年(1925年)に完成させた天主堂で当時は東洋一の教会と言われたが原爆により破壊された 浦上天主堂の崩れた鐘楼。明治11年(1878年)7月に西洋料理店「自遊亭(のちの自由亭)として建てられた

浦上天主堂遺壁 原爆落下中心地碑

大井手橋。中島川の第3橋で最初石造アーチ橋が元禄11年(1698年)岡正敏によって架設された 袋橋。中島川の第11橋

眼鏡橋 龍馬通り

上野彦馬生誕地 大浦天主堂。

旧羅典神学校。明治6年(1873年)キリシタン禁教が停止となり各地に配流されていた浦上村の信徒が釈放されたのを契機として大浦天主堂のプチジャン神父は神学校の設立を計画し明治8年(1875年)に完成。我が国初期の木骨煉瓦造り 東山手十二番館。明治元年(1868年)にプロシア(ドイツ)領事館として建設された。国指定重要文化財

東山手洋風住宅群。明治20年後半頃に社宅または賃貸住宅として7棟建てられた 孔子廟。明治26年(1893年)に中国清朝政府と在長崎華僑が資金を募って建立。中国人が国外で唯一建てた聖廟

日本二十六聖人殉教地。慶長元年(1597年)12月19日、6名の外国人と20名の日本人が豊臣秀吉のキリシタン禁令のため大阪・京都で捕えられ長崎に護送されこの地で処刑された 潜伏キリシタンの墓碑

沖ノ島天主堂 神ノ島教会

三菱重工長崎造船所 佐賀藩深堀鍋島家屋敷・鹿児島藩蔵屋敷

代官屋敷の井戸 末次平蔵宅

サント・ドミンゴ教会跡 報時所

活版伝習所跡・唐通事会所跡 到遠館碑

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