清    瀧    寺


【井戸櫓】

清瀧寺。京都知恩院の末寺でここは徳川家康の嫡男信康の墓がある
天正7年(1579年)7月、家康は正妻築山殿と嫡子信康が武田氏と共謀して謀叛の疑いありと織田信長から二人の処分を迫られ、9月15日信康を二俣城で自害させ、遺骸をこの寺に葬り法名を「騰雲院殿達岩善道大禅定門」という
天正9年(1581年)徳川家康はこの寺を訪れ清水の涌き出るのを見て寺名を清龍寺と名付けた
ここには信康の他に殉死した吉良於初、当時の二俣城主大久保忠世、三方原で討死した中根平左衛門正照、青木又四郎吉継の墓もある
この清龍寺には二俣城から移築された井戸櫓がある。元亀3年(1572年)10月武田軍は徳川方の二俣城を攻撃したが城兵は小勢ながら天険を利用してよく防いだ。武田軍は城兵が天竜川の崖に櫓を造り滑車に縄を掛ける釣瓶で水を汲んでいることを察知し水の手を奪う戦法にでた。寄せては釣瓶を筏を流して切断し落城させた
住所 静岡県天竜市
本堂 山門

清瀧の滝 信康廊

上の入口をくぐった後の信康廊 信康家臣の墓。右から青木又四郎吉継、中根平左衛門正照、大久保七郎右衛門忠世、吉良於初の墓

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