将 門 首 塚


【将門首塚】

将門は下総国に兵を起こし坂東八ヶ国を平定し、自ら平新皇と称し政治の革新を図ったが平貞盛と藤原秀郷の奇襲を受け馬上陣頭に戦って憤死した
これを天慶の乱といい、将軍の首は京都に送られ獄門に架けられたが3日後白光を放って東方に飛び去り武蔵国豊島郡芝崎に落ちた
大地は鳴動し、太陽の光も失い暗夜のようになったため村人は恐怖して塚を築いて埋葬したという
また、江戸時代の寛永年間、この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭であり、歌舞伎の「千代萩」で知られる伊達騒動の終末伊達焉安芸・原田甲斐の殺害された所でもある
住所 東京都千代田区大手町
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