壇  上  伽  藍


【金 堂】

壇上伽藍は高野山開創の際、真言密教の中心聖地として最初に堂塔が建てられた重要な場所
金堂は高野山一山の総本山で、本尊と両部曼荼羅を修法する3壇を持つ密教の大堂
住所 和歌山県伊都郡高野山152
中門。御開創間もない819年の創建。当初は結界の意味が強い鳥居状のものであったが、焼失を再建を繰り返しながら五間二階の楼門となった 対面桜。平清盛と弘法大師が対面した場所にあった桜

六角経蔵。平治元年(1159年)皇后であった美福門院得子が夫の鳥羽上皇の菩提を弔うために創建 登天の松・杓子の芝。久安5年(1149年)4月10日、明王院の僧・如法上人が悟りを得てこの松から浄土へと昇天したことから登天の松と呼ばれる。この時昼食の準備をしていた弟子が上人とともに登天することが許され、持っていた杓子が昇天の途中芝に落ちてきたことから杓子の芝を呼ばれる

山王院。御社の拝殿で1171年以前の創建 御社(四社明神)。壇場の西端にあり3社が並列し右から丹生明神、高野明神、十二王子百二伴神をまつる

西塔。仁和3年(887年)第二世真然大徳が建立された 孔雀堂。後鳥羽法皇の御願により正治2年(1200年)に落慶し、仏師快慶作孔雀明王を安置した

准胝堂。973年以前の創建、大師得度剃髪の際自らの本尊として祀られた 御影堂。元は大師の持仏堂であったが入定後実恵僧都が師の御影を安置する堂とした

逆指の藤。平安時代に活躍した高僧、祈親上人が高野山の荒廃を嘆き、高野山の再興を近い願掛けとして藤を地面に逆さに植えた 三鈷の松。松葉が3本という珍しい松で大師が唐から伽藍建立の地を占うため投げた三鈷がこの松のかかった

根本大塔。伽藍中心の塔として816年高野山開創の頃より着手し、大師と真然の2代を費やし887年頃完成 愛染堂。1334年後醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るため建立

不動堂。国宝、1198年一心谷に行勝上人が創建 大会堂。1175年皇女五辻斎院頌子が父の鳥羽上皇追善のため創建

三昧堂。928年、金剛峯寺座主斎高大僧都の創建 東塔。1127年醍醐寺勝覚権僧正が白河上皇の御願により創建

蓮池と善女龍王社。蓮池は高野山最大の池で古くは金堂池と呼ばれた 大門。高野山の西の入口の正門、重層の五間三戸、入母屋造、銅瓦葦の楼門

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