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別 名 | : | 鯉城・在間城・当磨城 |
所在地 | : | 広島県広島市中区基町 |
築城年月 | : | 天正19年(1591年) |
築城者 | : | 毛利輝元 |
主要城主 | : | 毛利氏・福島氏・浅野氏 |
城郭様式 | : | 平城 |
遺 構 | : | 復興天守閣・曲輪・水堀・門跡 |
広島城は標高10m、比高10mの大田川河口の三角州に築かれた城です
デルタ地帯での築城は非常な苦心を伴なったと言われている 関が原の戦い後、安芸・備後2ヶ国の領主として福島正則が入城し、外堀・外郭の整備を進め城を完成させた 元和元年(1619年)洪水で破損した石垣の無断修理をとがめられ徳川幕府から改易となり、代わって浅野長晟が42万石で入城した 以後明治2年(1869年)の版籍奉還まで250年、12代続いた
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中之門跡です | 鏡石です |
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南東隅櫓跡です | 本丸上段の土塁です |
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大本営跡です | 東門跡です |
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城址碑です | 坂口門跡です |
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天守礎群と奥が東小天守台です | 南小天守台です |
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天守閣です | 天守閣です |
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北東隅櫓跡です | 北西隅櫓跡です |
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本丸天守台下帯曲輪と北帯曲輪を分ける小桝形です | 本丸上段と西帯曲輪を分ける石垣です |
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中国軍管区司令部地下通信室跡です。原爆でもここだけは通信できたため、広島の原爆被災の一報が発信された | 中国軍管区司令部地下通信室跡被災古写真です |