上   月   城   


【1の郭の城塁】
別  名
所在地兵庫県佐用郡佐用町上月
築城年月鎌倉時代末期(1300年代)
築城者上月次郎景盛
主要城主上月氏・赤松氏
城郭様式山城
遺  構郭・堀切・竪堀
上月城は標高140mの大平山に築かれた城です

その後盛忠、義景、景満と続くが、そのいずれかの時に本城を谷を隔てた南の荒神山に移した。これが現在の上月城である

嘉吉元年(1441年)山名氏の侵攻によって落城し、山名一族の居城となったが、天文7年(1538年)尼子晴久が出雲から進軍し上月城を占領した

永禄10年(1567年)毛利氏が播磨に進出し、上月城を占拠した

天正5年(1577年)織田信長の毛利氏攻めの総大将として羽柴秀吉が播磨に入り赤松政範のこもる上月城は12月3日落城した

秀吉はこの上月城を尼子勝久、山中鹿之助に守らせたが、天正6年(1578年)毛利氏の大軍に包囲され落城した

考察・感想
「天よ、われに七難八苦を与えたまえ」で有名な山中鹿之助のお城です
有名な城ですが、城自体は割とこじんまりとしています
駐車場
上月歴史資料館無料駐車場
目標物  上月城地図
上月歴史資料館
登城口です 1の郭下の堀切です

7の郭です 1の郭です

1の郭赤松蔵人の碑です 5の郭です

4の郭です 2の郭です

3の郭です 3の郭下の堀切です

3の郭下の堀切に続く竪堀です 全景です

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