三木城は上の丸台地上に築かれた丘城です
天正6年(1578年)から2年間、東播磨最大の勢力を誇る三木城主別所長治と織田信長の部将羽柴秀吉の間で起こった三木合戦では、「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めが行われた
落城後も豊臣家の直轄地として城代、城番が置かれ、慶長5年(1600年)池田輝政の姫路入封に伴い姫路城の支城となった三木城には家老の伊木忠次が入城したが、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった
- 考察・感想
- 本丸、二の丸を中心に新城、鷹尾山城、宮ノ上要害で構成され、南側は山と谷、他三方を崖に囲まれた要害となっています
- 駐車場
- 無料駐車スペース有
- 目標物
- 上の丸公園
|