船岡山城は標高112mの船岡山に築かれた城です 応仁の乱では西軍の大内政弘・山名教之らがここに布陣して城を築いた 足利将軍家と細川家の内紛では、永正8年(1511年)8月、この城を修築し最終防衛陣地とした細川澄元・政賢を丹波に逃れていた将軍義尹が細川高国らが攻め落城した 考察・感想 現在は船岡山公園として整備されています。主要部分は建勳神社の敷地としてフェンスに囲まれて見れないのが残念です 駐車場 無 目標物 船岡山城地図 船岡山公園 応仁・永正戦跡碑です 曲輪です
応仁の乱では西軍の大内政弘・山名教之らがここに布陣して城を築いた
足利将軍家と細川家の内紛では、永正8年(1511年)8月、この城を修築し最終防衛陣地とした細川澄元・政賢を丹波に逃れていた将軍義尹が細川高国らが攻め落城した