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別 名 | : | 鳥取尾山城 |
所在地 | : | 京都府乙訓郡大山崎町天王山 |
築城年月 | : | 南北朝時代初期 |
築城者 | : | 赤松則祐 |
主要城主 | : | 赤松氏・細川氏 |
城郭様式 | : | 山城 |
遺 構 | : | 土塁・井戸 |
山崎城は標高270m、比高240mの天王山に築かれた城です
南北朝時代に男山に篭城する北畠顕信らに呼応する攝津国の南朝勢を京都から守るために築城されたのがはじまりである 応仁の乱後は山城守護山名是豊が西岡を支配していた西軍の畠山義就や攝津を荒らしていた大内政弘らに対抗するためこの城を修築した 天正10年(1582年)6月、本能寺の変後京都に迫った羽柴秀吉・神戸信孝連合軍に対し明智光秀は男山城とこの山崎城を占拠する優位に立ちながら前日になって淀・勝竜寺城へ引き下がる消極策を取ったため、天王山をとった秀吉が優勢となり光秀は敗れた
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本丸です | 井戸です |
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二の丸土塁です | 石垣です |