福地氏城は西に石垣の表門をもち、四方土塁の掻揚式の城である 天正9年の伊賀の乱では、周辺の土豪と違い福地氏だけが信長に付き、伊賀攻略の案内役をし伊賀軍は全滅、戦い後この地に戻ったが周囲の恨みからこの地を居れず他国に逃亡した 松尾芭蕉はこの福地氏の一族である 考察・感想 土塁が高い。見事に残っています 石垣有り、井戸跡有り、見所一杯です 残念なのは、名阪国道が遺構を一部破壊。惜しい!! 駐車場 有(無料駐車場4台) 空堀です 門跡です 石蔵跡です 土塁です 井戸です 館跡と土塁です
天正9年の伊賀の乱では、周辺の土豪と違い福地氏だけが信長に付き、伊賀攻略の案内役をし伊賀軍は全滅、戦い後この地に戻ったが周囲の恨みからこの地を居れず他国に逃亡した
松尾芭蕉はこの福地氏の一族である