五  箇  篠  山  城  


【主曲輪と土塁】
別  名
所在地三重県多気郡多気古江
築城年月鎌倉時代
築城者野呂氏隆
主要城主野呂氏
城郭様式山城
遺  構畝状空堀・竪堀
堀切・曲輪
五箇篠山城は標高137m、比高68mの山に築かれた城です

鎌倉時代の中頃、上野国(群馬県)から移り住んだ野呂氏隆がここに城を築き、野呂氏代々の居城であったが、野呂氏戦死後は安保式部少輔・安保大蔵大夫が居城した

天正4年(1576年)北畠具教が三瀬館で殺され北畠氏へ滅亡

僧であった北畠具教の弟具親が還俗し北畠氏の再興をはかったが果たせなかった

本能寺の変後、五箇篠山城に籠城したが織田信雄軍に一蹴され、2日で伊賀に敗走した

考察・感想
ここは興福寺の別院東門院の僧となっていた北畠具教の舎弟具親が還俗し織田信長に対し蜂起し天正10年(1582年)に本能寺の変後に、この五箇篠山城に立て籠もったことで有名である
縄張の中心は山上の屋根を東西の深い堀切で分断して築かれた台状の連郭群とその周囲に帯曲輪からなっている
駐車場
目標物  五箇篠山城図
勢和図書館
主曲輪とU曲輪との間の二重堀切の削り残しです 主曲輪西側階段状の腰曲輪です

U曲輪の竪堀です UとVの間の堀切です

VとWの間の堀切です X曲輪周囲の畝状空堀群です

城址碑です 全景です

案内図です 模型です

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