神戸城は伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は南北朝時代飯野寺家町の地に沢城を築いたが、戦国時代にはこの地に神戸城を築き移った
神戸氏は盛澄、実重、為盛、具盛、長盛、利盛と続き7代友盛の時信長の侵攻により永禄11年(1568年)信長の三男信孝を養子に迎え和睦した
天正8年(1580年)に信孝は5重の天守閣を築いたが、文禄4年(1595年)には天守閣も桑名城に移された金森長近はここに居城し飛騨を平定、城は養子の可重が入り増島城を築くまでここに在城した
その後一柳直盛、石川氏3代と続き享保17年(1732年)本多忠統が入国、7代まで続き明治8年城は解体された
- 考察・感想
- ここは天守台が残されています。残念なのはその石垣に大きな落書が・・
- 世の中馬鹿な奴がいたもんだ。折角の遺構の大切さが分からないとは情けない
- 駐車場
- 神戸城専用無料駐車場有(20台)
- 目標物
- 神戸高校
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