鹿伏兎城は標高264mの牛谷山に築かれた城です
関四郎盛政の六男関四郎盛宗によって築かれ、はじめは牛谷城と呼ばれたが、鹿伏兎氏七代定好の時に修築し鹿伏兎城と呼ばれるようになった
定好の子定長が将軍足利義晴に白鷹を献上した事から白鷹城とも称されるようになった
天正2年(1574年)織田氏の将滝川一益は鹿伏兎城を攻め支城の林城を討ち、翌年天正11年(1583年)織田信長に攻められ落城した
- 考察・感想
- JR加太駅の北側にある神福禅寺の裏山が城です。神福禅寺に寺から行く登城ルートが記載されていますが、平成28年現在は通れません。JR加太駅から500m程西側に進み。碑があるところから山に行くと線路の横断箇所があり、ここから山へと続く道があります
- 隣の山経由となりますが、途中祠が一杯あります。
- 石垣が有名ですが、その他にも井戸や櫓台があります
- 麓にある神福禅寺は家臣の館跡とも言われている
- 駐車場
- JR加太駅の駐車場を借用
- 目標物 鹿伏兎城地図
- 神福禅寺
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