元和5年(1619年)8月徳川家康の第10子頼宣が紀州藩主となったとき田丸藩は紀州徳川領となり田丸城に久野丹波守宗成を城主においた
しかし、久野家は代々和歌山藩の家老職にあり1代の内数度しか田丸に入城できないため田丸城代家老職に家臣久野市兵衛の家系をこれに当て城を守らさせた
三代目田丸城主宗俊の代に久野兵右衛門宗昌の家系が継ぐこととなり以後明治維新まで続いた
この城代久野氏の邸には赤塗り門を構え城主久野家と区別したことから赤門久野と呼ばれた
- 考察・感想
- 現在は道路沿いに碑と説明用看板があるだけです
- 遺構は何も残っていません
- 駐車場
- 無
- 目標物
- 田丸城
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