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別 名 | : | 旭城・扇城 |
所在地 | : | 三重県桑名市吉之丸 |
築城年月 | : | 慶長6年(1601年) |
築城者 | : | 本多忠勝 |
主要城主 | : | 本多氏・松平氏 |
城郭様式 | : | 平城 |
遺 構 | : | 櫓跡・堀 |
桑名城は徳川四天王の一人本多忠勝が10万石の太守として移封され築城を開始し、松平定勝、定綱が増築をくり返して櫓51、多聞46の立派な城となった
松平定綱が天守閣を築いたが元禄14年(1701年)城内の出火により類焼し、その後は再建されなかった 明治元年城主松平定敬は名古屋城主徳川慶勝、会津若松城主松平容保の弟にあたり戊辰の役では帰順ぜず旧幕府軍と函館に行って戦ったため有栖川軍の攻撃により桑名城は破壊された
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城址碑です | 本丸です |
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二の丸です | 辰巳櫓跡です。桑名城本丸の東南角にあり三重櫓があった。元禄14年(1701年)天守閣が焼失し再建されなかったので以後この櫓が桑名城のシンボル的存在であった。明治維新の時降伏のしるしとして新政府軍に焼き払われた |
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神戸櫓跡です。戦国時代にはこの付近に伊藤武左衛門が治める東城があったが織田信長の伊勢進軍時伊藤氏は降伏しその後は城主が度々変わった。文禄の頃一柳直盛が城主となると城郭が築かれその時伊勢神戸城の天守閣を移した。慶長6年本多忠勝は城を拡張し神戸城の天守閣は櫓として残され神戸櫓と呼ばれた | 辰巳櫓にある大砲です。なぜここにあるのかは不明です |
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本多忠勝の像です | 城絵図です |
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奥平屋敷です。二の丸の一部にあります | 三の丸です |
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蟠龍櫓です。二の丸の一部にあります | 築城時の石垣です |
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移築門です | 七里の渡です |