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別 名 | : | − |
所在地 | : | 三重県松阪市大河内町城山 |
築城年月 | : | 室町時代1190年) |
築城者 | : | 北畠満雅 |
主要城主 | : | 北畠氏 |
城郭様式 | : | 平山城 |
遺 構 | : | 土塁・堀・郭 |
大河内城は標高110mの丘陸突端部に築かれた城です
東裾には阪内川、北裾には矢津川が流れ、南裾と西裾には深い谷が巡る自然の要害の地を形成している 応永22年(1415年)、北畠満雅が阿坂城で室町幕府に反旗をひるがえしたとき、築城して弟顕雅を籠城させ、以後顕雅の子孫が居城し大河内御所を称した 永禄12年(1569年)8月、この大河内城をめぐって北畠具教と織田信長が対峙し、北畠氏は50日にもおよぶ籠城戦に耐えたが、信長の二男信雄に北畠の家督を譲る条件で信長の軍門に降り北畠具教は城を退去した 天正3年(1575年)信雄により大河内城は廃城となり翌年南伊勢を統治する拠点を田丸城に移した
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搦手門跡です | 二の丸です |
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馬場跡です | 御納戸跡です |
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本丸切岸です | 本丸と西の丸の堀切です |
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西の丸の土塁です | 西の丸です |
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まむし谷奥の堀切です | 全景です |