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別 名 | : | ー |
所在地 | : | 奈良県高市郡高取町高取 |
築城年月 | : | 南北朝時代、天正12年 天正17年 |
築城者 | : | 越智邦澄、筒井順慶、豊臣秀長 |
主要城主 | : | 本多氏・植村氏 |
城郭様式 | : | 山城 |
遺 構 | : | 石垣・郭 |
高取城は日本三大山城のひとつで標高583m、比高390mの高取山山頂に築かれた城です
南北朝時代に越智邦澄が砦を築いたのが始まりといわれ、天正8年には一旦取り壊されたが天正12年に筒井順慶が詰城として復興した 筒井順慶が死去後豊臣秀長が入り天正17年から城の改築を行った その後脇坂安冶、本多正俊、植村家政が入り植村氏お居城として幕末まで続いた。全盛期の江戸時代には櫓27、門33、石垣は2900mあったという 五百羅漢 壷阪寺の奥の院。寺から高取城に向って歩くと木立の中の巨石に無数の石仏が彫られており室町時代中期のものである。「親に会いたくば五百羅漢の堂にこもれ」といわれてきたという
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二の門跡です | 国見櫓跡です |
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矢場門跡です | 松ノ門跡です |
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宇陀門跡です | 三の丸石垣です |
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千早門跡です | 城代屋敷跡です |
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大手門跡です | 二の丸石垣です |
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十三間多門跡です | 二の丸御殿跡です |
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十五間他門跡です | 城址碑です |
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小天守台です | 天守台です |
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本丸石垣です | 本丸虎口です |
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搦め手門跡です | 搦め手門跡付近の井戸です |
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古川屋敷跡です | 壷阪口門跡です |