津山城は吉井川と宮川の合流点を望む鶴山に築かれた城です
鶴山へ最初に築城したのは、美作守護・山名教清の一族である山名忠政が嘉吉年間(1441年〜44年)に築城した
本格的な築城は慶長8年(1603年)森蘭丸の弟である森忠政が鶴山を城地と決定し翌年鶴山を津山と改め城と城下町の建設を開始し13年かけて築城した
森氏は4代95年間在城したが、元禄10年(1687年)長成が他界し、跡継が立てられず領地没収となった
元禄11年(1698年)松平宜富が美作10万石を領し津山城主となり、以後9代175年間続き慶倫の時明治維新を迎えた
- 考察・感想
- 形式は平山城で輪郭式を基本とした変形態で福岡の小倉城をモデルにしたといわれている
- 天守閣が完成した時当時の徳川幕府は5層の天守構造物は禁じていたが、森忠政は天守を5層に建ててしまい、4層目の庇を取り払い4層天守として通した。無茶してます
- この狭い敷地に、建造物が本丸31、二の丸12、三の丸17棟あり、門が本丸15、二の丸17、三の丸11棟の門があったといい、これがあった頃は相当壮観であったでしょう
- 駐車場
- 郷土博物館の無料駐車場または周辺の有料駐車場
- 目標物 津山城地図
- 鶴山公園
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