細川氏・三好氏により阿波の守護所としての四国地方の政治の中心となった城です 天正13年(1585年)土佐の長宗部元親が十河存保が守るこの城を攻め8月28日、中富川の合戦で敗れ讃岐へ退き以後廃城となった 考察・感想 本丸には見性寺が建っています 周囲には水堀が残っており、一目で城跡と分かります 発掘調査時の写真が掲示されており、土塁の大きさがよくわかります 駐車場 無料駐車場有 目標物 見性寺 アクセス JR高徳線「勝瑞駅」を下車し北西に進みます 信号がある道を左折し、直ぐ右側が城址です 水堀です 土塁です。発掘調査では幅12m、高2.5mの土塁が確認された 城址碑です 勝端義家碑です
天正13年(1585年)土佐の長宗部元親が十河存保が守るこの城を攻め8月28日、中富川の合戦で敗れ讃岐へ退き以後廃城となった