鳥取城は標高263mの久松山に天神山城の出城として築かれた城です
中世では因幡地方の政治拠点、近世では因幡・伯幡の支配拠点として長い間存続していたため、中世山城的性格と近世的城郭遺構が併存するという珍しい城址で国指定史跡となっている
中世の頃は山上ノ丸と西方に延びる急峻な尾根を中心に設けられていたが、関が原の戦い後城主となった池田長吉により近世的城郭として大改造された
その後池田光政を経て寛永9年(1632年)岡山から池田光仲が入城して以後鳥取池田家の居城となった
この鳥取城は羽柴秀吉による「鳥取の渇え殺し」の兵糧攻めは有名である
天正9年6月25日、羽柴秀吉は吉川経家が守る鳥取城に2万の大軍で姫路を出発し、城を完全に包囲した
救援に向かった毛利氏をも寄せ付けない鉄壁な包囲網で、城内には兵1500の2ヶ月分の食料しかなかったのに兵4000が篭ったため城内は兵糧が欠乏し、ついに人を服すという状況にもなり、10月25日吉川経家は切腹し鳥取城は開城となった
- 考察・感想
- ここは縄張りが面白いです。山頂には山上の丸があり、天守・本丸・二の丸・三の丸があり、麓にも館があったため本丸とも呼ばれた二の丸、天球丸等多様な遺構が残っています
- 当方が行った時は工事個所が多く、あっちこっちに侵入禁止のロープがありました。う〜 残念!
- 駐車場
- 博物館の無料駐車場を借用またはその付近路駐可能(数台)
- 目標物
- 県立博物館
- アクセス
- JR山陰線「鳥取駅」を降り、そのまま北に進みます
- 正面に県庁があり、さらに横を通り過ぎ左折します
- 右側の山が鳥取城です
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