米子城は標高90mの湊山に築かれた城です
江戸幕府の「一国一城令」において例外として存続が許された全国の支城の中で天守閣を備えたものは非常に珍しい
戦国末期に出雲東半分、伯耆西部、隠岐島の領主として富田城に入った吉川広家が築城に取り掛かったが、関が原の戦いで西軍に属したため、岩国へ転封となった。この時には山頂には4重の天守閣が完成していた
広家の後中村一忠が鶴河国から転入し、吉川氏の天守閣の横に本丸の石垣を張り出し4重5層の大天守閣を建てた
中村一忠急死後中村氏は断絶となり、加藤貞泰が美濃国から転入したが、7年後伊予国大洲に転封となり元和3年(1617年)に因幡・伯耆の領主となった池田光政の一族池田由之が城預かりとなった
寛永9年(1632年)池田光仲が鳥取城に入り、米子城には光仲の家老荒尾成利が城預かりとなり幕末まで管理した
- 考察・感想
- ここの天守閣は明治の頃僅か37円で売られてしまったという。なんと勿体無い。天守閣が2つある城、見てみたかった
- ここは夏に進軍するのは避けた方がいいですよ。黒い守備兵がブンブン飛んでます
- 駐車場
- 駐車場スペース有(2台)
- 目標物
- 湊山公園
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