三   戸   城   


【模擬天守】
別  名留ヶ崎城・三戸高城
所在地青森県三戸郡三戸町
築城年月永禄年間(1558年〜70年)
築城者南部晴政
主要城主南部氏
城郭様式山城
遺  構模擬天守・石垣・空堀・門跡
三戸城は東西900m、南北200m、標高130m、比高90mの山に築かれた城です

三戸城の築城は24代藩主南部晴政の時で、天文8年(1539年)6月14日家臣赤沼備中の放火により当時居館聖寿館が焼失したため永禄年間にこの地に築城した

26代南部信直は天正18年(1590年)小田原に参陣し、その功により南部七郡(糖部・岩手・紫波・稗貫和賀・閉伊・鹿角)領有の公認を受けた

慶長2年(1597年)盛岡城の築城を開始したが、その後中断もあり寛永10年(1633年)に完成し、以後盛岡城が居城とされ、九戸城・郡山城は破却されたが三戸城は残され城代の統治と代わった

考察・感想
本丸まで車であがれ駐車場もあります。途中亀池にも駐車スペースがあり、ここに一旦駐車し鍛冶屋御門跡を見るのがいいでしょう
本丸は綺麗に整備されており、模擬天守の三戸温故館もありこの天守は御三階櫓を復元しています
駐車場
城山公園無料駐車場有
目標物  七戸城地図
城山公園
鍛冶屋御門跡です 亀池です

淡路丸です 大清水です

欅御門跡です。北面する門の前は枡形となり南北には門に連なる土塁が築かれていた 大御門跡です。欅御門からこの大御門を抜け本丸に至った

三層櫓跡です。本丸北側の一角に築かれた石垣の上にあった 太鼓櫓跡です

本丸です 城址碑です

南部彦九郎政直邸跡です。慶長4年(1599年)初代藩主南部利直の次男として生まれた 南部彦八郎利康屋敷跡です。慶長13(1608年)初代藩主南部利直の四男として生まれた

石井伊賀守邸跡です 御鷹部屋跡です

空堀です。三戸城唯一の堀で本丸手前の大御門の土塁と連なる造りであった 案内図です

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