七   戸   城   


【東門(復元)】
別  名柏葉城
所在地青森県上北郡七戸町
築城年月鎌倉時代
築城者工藤右近将監または南部政長
主要城主工藤氏・南部氏
城郭様式平山城
遺  構郭・堀・土塁
七戸城は東西375m、南北387m、比高40mの台地に築かれた城です

この七戸城は南部氏の中で最も北に位置する城跡で、北方防衛の最前線吉をしての役割も担っていた

建武2年(1335年)に七戸の地は南部政長に与えられ以後戦国時代末期まで南部氏の居城となった

天正19年(1591年)に九戸城主政実が宗家三戸南部信直に叛したとき(九戸政実の乱)、七戸城主家国は政実と結び羽柴秀次を総大将とする奥州仕置軍に滅ばされ、七戸南部家は断絶した

その後信直は七戸城の重要性に鑑み浅水城主南直勝に名跡を継がせ慶長2年(1597年)にはその長氏七戸隼人正直時を七戸2千石の城主とした

直時の死後、正保4年(1647年)盛岡藩27代利直の5男重政が後と継ぐが寛文4年(1664年)重信が第29代盛岡藩主になったため、以後盛岡藩の直轄地となり七戸に代官が置かれることになった

考察・感想
昭和16年12月13日に国指定史跡に指定されています
かなり広い城だったようで、道路の反対側にも遺構が残っています
駐車場
無料駐車場有
目標物  七戸城地図
柏葉公園
内堀です 二の丸です

二の丸の土塁です 二の丸と貝の口の間の堀です

貝ノ口の土塁です 貝の口の土塁と堀跡の写真です

本城です 城址碑です

北館です 北館復元想定図です

姫塚です 下館です

角館です 西館です

宝泉館です 西館と宝泉館の間の土橋です

武家屋敷跡です 通行人の監視所です

大手虎口の碑です 案内図です

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