九   戸   城   


【本丸と二の丸の空堀と本丸石垣】
別  名白鳥城・宮野城・福岡城
所在地岩手県二戸市福岡町
築城年月明応年間(1492年〜1501年)
築城者九戸光政
主要城主九戸氏
城郭様式平山城
遺  構郭・空堀・土塁・石垣
九戸城は東西850m、南北650mの規模の城です

天成19年(1591年)城主九戸政実は南部26代当主の座に弟を擁し、田子信直と奥州南部を2分して争った

信直が天下人秀吉の領地安堵をとりつけたことから天下の謀反人として秀吉の奥州仕置軍6万余を敵に回しこの城に5千の兵で立て篭もる事になったが、仕置軍の策謀により落城した

その後秀吉の命で仕置軍の軍鑑であった蒲生氏郷がこの城を普請し南部信直に渡し信直は三戸城からこの地に移り福岡城を命名し、盛岡城の築城が成るまで南部氏の本城となった

考察・感想
昭和10年に国指定史跡に指定されています
石垣は東日本でも最古級で、古式穴太積の石垣としては最北といわれています
ボックスの中にパンフレットが置いてあります。これを手に入れてから攻めるのがいいでしょう
駐車場
二の丸に無料駐車場有
目標物  九戸城地図
安養寺
二の丸です 二の丸土塁です

本丸追手門跡です 本丸土塁です

本丸隅櫓跡です 本丸虎口です

本丸石垣です 本丸と二の丸の間の空堀です

本丸と二の丸の間の空堀です 二の丸搦手門跡です

石沢館(外館)です 石沢館と二の丸の間の空堀です

若狭館です 大手門脇堀です

空堀です 城址碑です

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