鎌   倉   城   


【釈迦堂切通】
別  名
所在地神奈川県鎌倉市
築城年月鎌倉時代
築城者源頼朝
主要城主源氏・北条氏
城郭様式都城
遺  構切通
鎌倉城は三方を馬蹄形に連丘で囲まれた理想的な都城です

鎌倉城の範囲は稲村ヶ崎から極楽寺切通、大仏切通、葛原岡、亀ヶ谷切通、巨福呂坂切通、鷲峯山、朝比奈切通、天台山、名越切通から飯島崎に連なる丘陵に東・西・北の三方を囲まれ南は相模湾に面する地域である

切通しとは山や谷を切り開いて通した通路の事をいい、鎌倉には七つの切通しがある
鎌倉への出入り口とともに防衛の役目を持っている
化粧坂切通しは扇ヶ谷と佐助ヶ谷を結んでいる。新田義貞は最初この切通しから進入を図ったが果たせなかった。昔、討ち取った平家の武将の首実検のために化粧をしたところだとか、坂上に遊里があったからこの名が付いたともいわれている
巨福呂坂切通しは鎌倉と武蔵を結んでいる。第3代執権北条泰時が仁冶元年(1240年)に開いた。現在旧道は通行できず洞門が作られている
亀ヶ谷坂切通しは北鎌倉と鎌倉を結んでいる
大仏坂切通しは鎌倉から藤沢を結んでいる
極楽寺坂切通しは坂ノ下と極楽寺を結んでいる。正元元年(1259年)に極楽寺を開いた忍性が開削したといわれている
名越切通しは名越と逗子を結んでいる
朝比奈切通しは十二所と六浦を結んでいる
その他杉本寺と大町を結ぶ釈迦堂切通しが名高い

考察・感想
通常の城とは全然違います。城郭都市といったイメージでしょうか
駐車場
色々
目標物
各切通
名越切通し 化粧坂切通り

亀ケ谷坂切通し 巨福呂坂切通し

極楽寺切通し 大仏坂切通し

西御門跡 東御門跡

大蔵幕府跡 源氏公園頼朝像

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