箕輪城は代々箕輪氏の居城であった 天文の始め頃は福与城の持城で木下総蔵が居城し、総蔵が下伊那へ移った後は、福与城主藤澤頼親の養子左衛門尉重時がここに拠ったが天正10年(1582年)滅亡した 考察・感想 城址は養泰寺の裏山の墓地となってます。土塁に囲まれた曲輪にお墓が建っているのは妙な雰囲気です 土塁の外側には立派な空堀が残ってます 駐車場 養泰寺の無料駐車場を借用。裏山の登城口にも1台分の駐車スペース有り 目標物 養泰寺 アクセス 国道153号を諏訪市から伊那市方面に進み「木下」交差点を過ぎ最初の右折できる道(養泰寺右折の看板有)を右折し、進むと左側に養泰寺があります 城址碑です 空堀です
天文の始め頃は福与城の持城で木下総蔵が居城し、総蔵が下伊那へ移った後は、福与城主藤澤頼親の養子左衛門尉重時がここに拠ったが天正10年(1582年)滅亡した