龍岡城は北海道の五稜郭と並ぶ日本で2つしかない洋式城郭のひとつである
信濃佐久郡に1万二千石、三河に四千石の領地を持つ三河奥殿藩松平氏は宝永年間(1704年〜11年)以来、本拠を三河に置き佐久には陣屋を置き領内22ヶ村を統治していた
陣屋は当初三塚村にあったが、宝永6年(1709年)以後田野口村に移され、文久2年(1862年)三河奥殿の城地の狭さと領地の大部分が佐久にあることから居を信濃に移すことにした
当時の藩主松平乗謨は学才識見に優れ、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁の要職を務め、洋学にも詳しいので新城郭の建築はフランスの築城家ボーバーンの稜堡式城郭採用をした
慶応3年(1867年)城は完成したが、廃藩置県後明治5年に城は取り壊された
- 考察・感想
- 主郭内は田口小学校になっています
- 北海道の五稜郭に比べこじんまりしていますが、たしかに五角形。いいのも見た
- 駐車場
- 龍岡城無料駐車場
- 目標物 龍岡城地図
- 田口小学校
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