上田城は二度にわたって徳川の大軍の攻撃を迎えうち見事撃退した名城として有名である
1度目は天正13年徳川家康が8500の兵で2000の兵で守る上田城を攻めたが、真田氏の巧妙な戦術により徳川方は大敗北を期した
2度目は慶長5年関が原の戦いに参加するため徳川秀忠軍38000が上田に押し寄せ真田昌幸・幸村父子は2500の兵で反撃し秀忠軍は城を攻めあぐね6日間も釘づけとなり関が原の決戦に間に合わないという大失態を演じてしまった
この2度の戦いで真田氏と上田城の名が高まった
- 考察・感想
- 智将真田氏の城 見事です
- 南櫓と北櫓がある東虎口櫓門。このアングルはいいですね
- こぼれ話(六連銭の由来)
- 真田家の家紋六連銭は仏教では死者が三途の川を渡る時渡し守に払う渡し賃といわれている
- 不惜身命を唱える武士にとってはふさわしい旗印とされ、つまりいつでも死ぬ覚悟があるということが示されている
- 駐車場
- 無料駐車場有(多数)
- 目標物
- 市民体育館
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