五十公野城は標高45m、比高27mの御城山に築かれた城です
新発田氏の一族五十公野氏の居城で、戦国時代には新発田重家が上杉景勝と7年間の抗争時に新発田城と五十公野道如斎の居城五十公野城は景勝に抵抗した
天正15年10月23日、景勝の大軍に包囲されていたこの五十公野城も遂に落城し、道如斎夫妻は山麓の安養院で自決した
- 考察・感想
- 登城口から登り出し頂上で道が二つ分かれたおり、最初反対方向に行ってしまいました。反対方向が登りとなっておりてっきり山頂に着くかと思ったら違いました
- 二重の堀切が残ってます。これは見ごたえありますが、全体的にはこじんまりとしており遺構はあまりありません
- 駐車場
- 駐車場スペース有
- 目標物
- 東部中学校
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