御    館    


【 碑 】
別  名
所在地新潟県上越市五智1丁目
築城年月弘治年間(1555〜58年)
築城者上杉謙信
主要城主上杉氏
城郭様式館城
遺  構
御館は関東管領上杉憲政が北条氏康に敗れ天文21年(1552年)越後の上杉謙信を頼って来た時に管領の館として築かれた

天正6年(1578年)3月13日上杉謙信が49歳で急死すると養子の景勝と景虎との跡目争い始まった

景勝は北条氏康の7男で人質として越後にやってきて、景虎は謙信の姉と長尾政景との間の子であった

謙信の死後景勝は本曲輪と金蔵を占拠し、二の曲輪の景虎と睨みあう形となった

天正6年(1578年)5月13日景虎は春日山城を脱出して御館に立て篭もった

景虎は実家の北条氏政、妹の嫁ぎ先武田勝頼からの援軍を期待したが現れなかった

天正7年(1579年)3月17日、景勝の猛攻を受けた御館は落城し脱出した景虎は鮫ヶ尾城まで逃れてところで自害した

考察・感想
ここは現在住宅化が進み公園の中に碑がぽつんと建っているだけです
あの有名な御館の乱があったとは誰も分からないでしようね
駐車場
無料駐車場有
目標物
御館公園

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