深沢城は馬伏川と抜川の合流点に築かれた城です
今川氏が永正年間頃甲斐に出兵した際に本格的な築城をした
永禄11年(1568年)武田信玄の駿河侵攻で今川氏真を追い払ったが、北条氏康・氏政は、今川氏真を救援する名分で武田軍を撤退させ、北条綱成に守らせた
元亀元年(1570年)7月、甲斐の武田信玄が深沢城を包囲し、金山衆などを使って攻め立てた
元亀2年(1571年)1月3日、武田信玄は深沢城に有名な矢文を送って開城を求め、北条綱成は籠城を断念、開城し、玉縄城にしりぞきその後は武田氏が支配した
天正10年(1582年)武田氏滅亡後、守将駒井昌直は城に火を放ち退却した
その後、徳川家康が深沢城を有したが、天正18年(1590年)後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると廃城となった
- 考察・感想
- 馬出好きな方には絶品です。三日月堀も見事ですよ
- 二鶴様式の堀跡書いてある看板がありましたが、この意味はわからなかった
- 駐車場
- 城址碑前の道路に駐車場スペース有
- 目標物
- なし
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