葛山城は東駿一帯に勢威を振った今川氏の国人衆の一人、葛山氏の城です
愛鷹山を背後に宮川を東に控え、城域は東西350m、南北70mである
天文6年(1537年)に今川義元が家督を継ぐと、今川氏と後北条氏が対立し、葛山氏は後北条氏について今川氏と戦った
永禄11年(1568)武田信玄が駿河に侵攻すると葛山氏は武田方につき領土を安堵されるが、今川氏真を助ける後北条氏に葛山城を奪われた
元亀2年(1571年)武田氏と後北条氏が和睦すると葛山領は氏元に返還されるが、武田信玄は6男信貞を氏元の養子として継がせ氏元を処刑し、葛山城は武田氏のものとなった
天正10年(1582年)武田氏滅亡すると葛山城も廃城となった
- 考察・感想
- 城は主曲輪、二の曲輪、東曲輪、西曲輪、大手曲輪とその他の小郭群、堀切から成っており、山頂部を階段式に削平して主曲輪を中央に設け、左右の曲輪を配置している並郭式の山城となっている
- 仙年寺本堂の裏側から登ると城址に到着します
- 駐車場
- 仙年寺の駐車場を借用
- 目標物
- 仙年寺
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